海瑠 (KNIGHT 11)

「ルビーのテニスブレスレット」
  浅井の言葉に、海瑠が助手席で体を捻り浅井のほうを向く。
「何ですか? それは」
「知りたがりやのお姫様が、この光景を見て、そう言ったんですよ」
  信号待ちで、車のテイルランプが赤く眩い。
「そうですか」
  前を向く海瑠。
  息を含んだ声。
  きっと海瑠は微笑んでいるのだろう。あの、アルカイック・スマイル。声の質から、浅井には海瑠の表情まで想像できた。
  浅井がハンドルを握るその隣に、海瑠が座っているなんて、信じ難かった。どんなに土砂降りの日でも、海瑠は浅井に送られるのを拒んでいた。アルバイターと店のオーナーとしての係わりしか持ちたくなかったのだろう。
  それが、数日前に、バイトの最終日だけは送らせて欲しいという浅井の頼みを、海瑠はすんなりと受け入れたのだった。
  そんな浅井が摩耶を送っていかなかったのは、海瑠の姿を少しでも見詰めていたいと思う我侭からだった。
  もう、どう思われてもいいと浅井は思った。
  海瑠が“MOON-BOW”に予約を入れたいと言い出したときも、いけない事とは思いながらも、浅井は海瑠から予約の訳を根掘り葉掘り聞き出した。
  大切な人にお酒を奢りたいという海瑠の言葉は、浅井の心に嫉妬の炎を点けた。
  浅井の嫉妬心は、海瑠の相手が誰であろうと、その誰かが海瑠を一人占めすることを拒み続けた。それは、子供じみた考えだということぐらい、浅井は百も承知していた。それでも、何とかして海瑠から、誰か分からないその大切な人を遠ざけたかった。
  結局、浅井は自分の嫉妬心に負けた。浅井は理由をつけて、無理に、海瑠が同席できない今日に予約を入れたのだ。それも、少女を送っていくナイトまで手配して。 大きな瞳の少女も、ナイトである青年がその役目を果たそうが、送りオオカミになろうが、どうでもよかった。浅井は、ただ、優雅に振る舞うギャルソンのような海瑠の姿を、一瞬でも長く見ていたかった。
  そして今、現実に海瑠が自分の隣りに座っている。
  海瑠が息をし、車の中の空気が僅かに揺らぐ。そんな何でもない出来事を肌で感じ取りながら、浅井は柔らかい幸せにどっぷりと浸っていた。
  しかし、海瑠を隣に乗せるのは、これが最初で最後ではないかという予感が浅井の胸に空気の珠のように急に浮かび上がる。そして、線香で火をつけたように、その疑惑は染みのように広がり、どんどん心を黒く蝕み覆い尽くす。そうあっては欲しくないが、きっと、この予感は当たっているのだろう。
  この3年間で、最初で最後か……。
  浅井は心の中でポツリと呟いた。
  胸をかきむしりたいほど、切なかった。
  浅井は海瑠を見た。赤く照らされた横顔は、まるで燃えているようだった。
  月の女神のダイアナのようだ。
  それが一瞬にして、黄泉の国の人のように青白く浮かび上がる。
  浅井は信号が変ったことを感じて、前を素早く向いた。
  この人は、もう、僕の手の届かないところで、僕をまったく必要とせずに、絵を描き続けるのだろう。それがきっと、海瑠の『夢』なのだろうから。




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