星史郎が美和たちの中学校に転校してきたのは、本当に変な時期だった。
 東京の都心ということで、社宅が多い学区だった。そのため転校生の出入りは多かったように記憶している。転勤に家族がついてくるなら、4月や9月が多い。しかし、美和のクラスに星史郎が来たのは、梅雨のじめじめしたときだったのだ。
 黒板に白墨で書いた「宗」という苗字も馴染みがなかったし、それに続く「星史郎」という名前も大仰そうだった。
 極めつけだったのは、彼が話す関西言葉だった。
 星史郎が自己紹介を始めたとたん、悪ガキどもがその訛りをからかったのだ。
 その頃、大阪のお笑い芸人が東京へ出てきていた事もあって、悪ガキは彼が喋るだけで漫才をしていると囃し立てた。幼い時は、自分たちと違うというだけで、さんざん苛めたりするものだ。クラスメイトも、そのことを小さなレクリエーションにしていた。星史郎は格好のターゲットになったように見えた。
 美和は、騒然とした教室の中で、傷ついたような素振りも見せず、悠然としている星史郎のことが少し心にひっかかった。
 そんな星史郎がこのクラスの番長と一戦を交えたのは、彼が来て翌日のことだったという。
 情報に疎い美和は、騒動がすっかり収まってから、何があったかを麻里から聞いた。
 昼休み、学校の裏庭に呼び出された星史郎は番長に叩きのめされるはずだったのだが、番長の全てのパンチを、片手で、受け止めていたのだという。
 番長は体も大きく、子分たちの手前もあり汗だくになって応戦したらしいのだが、勝負にならなかったらしい。
 番長に一目置かれた星史郎はクラスメイトからも一目置かれることになった。苛めのターゲットからは完全に外された。そして、いつしか彼の訛りも、どんどんと薄れていった。
 その後、星史郎はサッカー部に入った。
 辣腕のゴールキーパーという噂を聞いた。
 彼の名前がそこここで囁かれ、練習のあるグラウンドでは、その様子を見ようと少女たちが群れを作っていた。
 「宗君」はそんな少女の間では、「星史郎さま」と呼ばれていた。
 そんな少女たちの群れの中に、麻里もいた。
 しかし、彼は、二学期の終了とともに姿を消した。
 また、転校していくということを担任の先生からホームルームで聞かされた。
 それ以来、美和にもぷっつりと星史郎からの音信は途絶えたままだった。


「コノ デンワ ハ タダイマ ルスバン モード ニ ナッテ オリマス。 ハッシンオン ノ アト メッセージ ヲ ……」
  美和は慌てて受話器をクレイドルに戻した。
 ガチャリという音が留守番電話に残ってしまっただろうかと考える。
 ケイタイデンワというものがこの世にあることは知っていた。
 しかし、美和の夫は持っていない。娘も欲しがるが、まだ早いと与えていない。
 まさか、自分がそんなケイタイデンワに電話をするなどと、考えてもいなかった。
 しかし、この電話番号をするりと美和の手に滑り込ませたのは、真夏の同窓会で再会した、あの星史郎だった。
 目を上げた食器棚のガラスに反射した美和の顔は、数週間前よりもまるで少女のように生き生きとしている。
 美和は海原に身を任せるように、ソファめがけてジャンプした。


 時は残酷だった。
 クラス一美人だと噂がたった少女も、声が素晴らしくいつも独唱していた少女も、普通のおばさんになってしまっていた。正座した腰のあたりには、やはりむっちりとした脂肪が纏わり付いているのが着飾った服の上からも見てとれた。
 番長は土建屋の親父になっていた。この不景気だというのに、やはりどこからか仕事があるといって、羽振りの良さを吹聴している。
 クラスの人気を二分した体操部のエースは、思ったほど背が伸びていず、あの人気はどういうことだったのかと思うような容貌だった。どこかの体育の教師をしていると言う口ぶりは、やはりはきはきとした先生の語り口だった。かたや、文学青年で鳴らしていた少年は、見る影もなく腹が出て、おまけに髪の毛も寂しくなっていた。
 相手には失礼なのだが、一瞬、誰だったかと名前が出てこない相手もいる。二十数年の時間は、何もかもを変えていた。
 そういう美和自身、自分のなけなしの美しさが削がれていっているのを知っている。滑らかだった肌も、艶を失い始め、なだらかな曲線を描いていた体も、めりはりがなくなってきていることに気付いていた。もう、生物として盛りを過ぎてしまったことを、美和の体は鏡の中から教えてくれていた。
 他の人もそうなのだと、ほっとしたような、やるせないような気持ちが覆い被さる。
 やはり、来なかったほうがよかったのだろうか。
 なんとも居合わせたことが気まずいような同窓会のスタートだった。
 しかし、酒が回ると、会話が弾む。それぞれの少年少女の顔が覗き始める。あの頃の素のままの要素が、時々の会話で弾き出るのだ。会話は会話を誘い出し、笑い声が湧き立つ。まるで時間が螺子で巻かれたように、どんどんと昔のクラスメイトに戻っていく。
 美和は喋ることが億劫なたちだった。相づちをうち、空になったグラスにビールを注いで、それぞれの級友の話しに耳を傾ける。始めの気まずさはだんだんと影を潜めていく。同窓会に出てきてよかったという気持ちが、ふつりと美和の胸に浮かんでいた。
 女性と男性交互に座るように席がもう割り振られてあった。仕切り屋の麻里がしそうなことだ。目の前に来るのも、昔仲のよかった友達が来るようになっている。本当に麻里らしい。
 しかし、美和の右隣のお膳は誰も座らないまま、手付かずで置かれていた。
 美和が来るなら来ると言ってくれたその人の席は、ずっと空いたままだ。
 そろそろ、席を替わり他のクラスメイトとも話しをしようかと腰を浮かしたときだった。
「遅れてすみません。」
 どっしりとした座敷に響く男の声に、みんなが顔を上げていた。
「お久しぶりです、宗です。」
 番長が赤い顔をし、両手を広げて迎えに出て行く。
 星史郎も懐かしそうに笑顔を振り撒いている。
 背中を叩き合う男たちのなかに紛れていても、そこだけ光が当たっているように美和は感じた。美和の目は、星史郎に釘付けになっていた。




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