海瑠 (佐保姫 2)

  萌黄色に淡い桜の花びらを溶かしたような芽吹きの季節から、陽が差し込み煌くようなペリドットの若葉を過ぎ、今は翡翠のような町の緑が、西向きの海瑠の部屋のドーマーからも見てとれる。
  海瑠は、小さな写真のように切り取られた、この景色が気に入っていた。
  窓の下のライティング・ビュローに、燻し銀の鍵を差し込む。
  カタリと軽い音を立てて、錠は開いた。
  引き出しの中には、濃い紫の鮫小紋の風呂敷きで包んだ木箱と、美しいラピスラズリで飾られたボウイーナイフが並べられている。
  海瑠は素早く風呂敷き包みをリュックに忍ばせると、ナイフを手にした。
  天知のくれたナイフ。
  天知は海瑠が美術関係の大学に進学しないと知ると、自分も受験を止め、カメラを手にふらりと家を出ていってしまった。半年ほどして海瑠が受け取ったエアメールには、美しい銀色のナイフに、こんな天知の手紙が添えられていた。

「描け、海瑠 自分の欲望のまま
  描け、海瑠 このナイフで絵を葬ることなく

  俺は、切り取る 美しい光景を、美しい人を
  お前と揃いのナイフで、スライドを葬ることなく」


  その手紙には、天知がまるで刃の上でバランスを取っているような緊張感を、海瑠に感じさせた。きっと、そんな張り詰めた気持ちを持続させながら、シャッターを押しているのだろう。海瑠の瞼の内側で、鋭い天知の眼差しが浮かび上がった。
  天知は、それからも思い出したように、短い葉書を海瑠に送ってくれていた。その葉書のお陰で、海瑠は天知がこの地球のどこかで、自分と同じように息をし、毎日生きていることを感じさせてくれた。




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