海瑠 (KNIGHT 5)

  環に案内されたフロアは、落ち着くようにとセッティングされたテーブルの上のオイルランプで、ゆらゆらと仄かに照らされていた。窓ガラスの向こうには、小さな芝生の庭と、噴水がライトアップされている。
  摩耶の先入観では、バーといえば背の高い金属製のストゥールがあって、とても近代的で冷たい内装だとばかり思っていた。しかし、ここは暖かみのある革張りの椅子やラブチェアーが置かれ、キャンドルと花で飾られたエンドテーブル、壁に架けられた鏡も、どこかの落ち着いたリビングかサロンといった雰囲気を醸し出していた。
  フロアの奥には、暖炉がある。大理石の土台から銀色のアーチが支えているボールのような照明が、暖炉の前の布張りのソファーとフットレストを暖かく照らしている。暖炉は使い込んでいるのだろうか、積み重ねてある煉瓦が、煤で色褪せ、ここでの年輪を感じさせる。
  シャンデリアや豪勢な彫刻など一切置いていない。輝くようなゴールドも使っていない。全て押さえられた色調で整えられている。しかし、そこは端整で落ち付いた空間に仕上っていた。
  暖炉から程なく離れたところに、美しい木目のカウンターが設えてあった。まるで、ワックスをかけて磨き上げた車体のように光っている。ここの椅子も深みのあるブラウンで、背もたれや脚は美しいカーブを描いている。座面は座り心地がよいようにと、柔らかい藤のような繊維で編まれてあった。
  カウンターの向こうでは、ロマンス・グレイの紳士が、グラスを磨いている。その奥では、まだ若いバーテンダーが、ぎざぎざのあるナイフで氷をキューブに削っていた。
  環に勧められるまま、摩耶と諒はカウンターに座った。
「遙さまと、舷内さまです」
  環の呼びかけに、ロマンス・グレイのバーテンダーは、全てを知っているかのような表情で黙礼をした。
  環は摩耶の瞳を捕らえると、ゆったりと話し始めた。
「遙さまには、海瑠が一番好きなお酒を召し上がって頂くつもりですの。舷内さまは、いかがいたしましょう?」
「僕は、マティーニをお願いします」
「まあ、ご趣味のいいこと」
「父から、“MOON-BOW”に行くなら、マティーニかギムレットを頼むようにと教わってきたので、受け売りです」
  環は嬉しそうに顔を輝かせた。
「お父様は、ここをご存じなんですね」
「ええ、素晴らしいバーだから、楽しんでくるようにと言ってくれました」
「光栄ですわ」
  微笑む環に、摩耶は質問を投げかけた。
「海瑠さんの好きなお酒は、何ですか?」
「マティーニですわ」
  摩耶は左隣に座った諒と目を合わせた。諒も少し驚いたような目をしている。
  マティーニ、聞いたことあるカクテルの名前だが、どんな色なのか、どんな味がするのか、摩耶には見当もつかなかった。摩耶にとってのカクテルとは、コンビニの巨大な冷蔵庫の中でお行儀良く並んでいる、派手でけばけばしい色の液体でしかなかった。それも、舐めてみたことすらなかった。
  ロマンス・グレイのバーテンダーは、二人のためのカクテルの用意を始めたようだった。アルファベットの並んだレッテルのボトルや、銀色に煌くシェイカーを取り出している。




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