海瑠 (風10)

同じカタチ、同じイロのドアが、同じカンカクで、並んでいる。 ラビリンス。ちょっと、オカシクナッテしまいそう。
摩耶の部屋は、白いワンルームマンションの中にあった。
ふらつく摩耶を支えながら歩く海瑠には、見慣れない光景だった。背筋に寒いものが走る。
こんな所で、生活している人もいるのだ。摩耶も、その中の一人。
表札も掛かっていないドアのところで、摩耶は立ち止まった。
「ここです」
海瑠は肩に掛けていたトートバッグを、摩耶に手渡した。
摩耶は鍵を取り出し、ドアを開けた。
「じゃ、私はこれで」
摩耶は目を見張り、大きく首を振った。
「お茶でも、入れます。上がってください」
「いいえ、気持ちだけ頂いて帰ります」
「そんな」
「ゆっくり休みなさい。そのほうが、いい」
「私の気持ちが、収まりません」
海瑠はおどけた顔をしてみせた。
「案外、強情なんですね」
「何か、お礼、させてください」
それでも譲らない摩耶の言葉に、困ったように微笑んだ海瑠は、ちょっと視線を泳がせて何かを考えているような様子だった。しかし、すぐに何かを思い付いたのか、また真っ直ぐに摩耶の瞳を覗き込んだ。
「……お酒、飲んだこと、ありますか?」
突飛な海瑠の問いかけに、摩耶は目を見開き、口をぽかんと空けた。海瑠は相変わらず微笑んだまま、摩耶を見つめ続けている。唖然としている自分の表情を元に戻そうと、摩耶は焦りながら答えた。
「……あのう、ないです」
「じゃあ、お酒を奢らせてください」
なんだか筋が通っていないと摩耶は感じた。お礼に摩耶がお酒を海瑠に奢るのなら、話しはわかる。でも、摩耶が海瑠に奢ってもらうことが、今日の海瑠に対するお礼になるはずがない。
まだ口を半開きにしている摩耶に、反論すらできないぐらい素早く、海瑠はたたみかけた。
「摩耶、いいですね」
「……ええっ? ええ……」
「約束、しましたよ」
海瑠は動揺している摩耶を、目を細めて慈しむように見つめている。そして、肩に掛けていた自分のリュックを開け、ターコイズブルーのバンダナの包みを摩耶の方へと差し出した。
目の前の包みをじっと見つめながらも、摩耶は手を出すことを躊躇していた。そんな摩耶に、海瑠は少し首を傾げて「さあ」と小さな声で囁くと、受け取るようにとうながした。
「お弁当です。お腹が空いたら食べなさい」
「だって、海瑠さんのでしょう、これ」
「私は元気だから、学食だって、何だって行けますからね、さあ」
摩耶は心を決めバンダナの包みを受け取ると、小さな胸のふくらみに押し付けてしっかりと抱きかかえた。
「早く元気になってください」
海瑠は右手を振りながら、ゆっくりとドアを閉め始めた。
堪えきれず、摩耶の口から思わず言葉が零れでた。
「海瑠さん!!」
「……?」
海瑠の顔が、なぜか涙で歪んで見える。
「ありが・と・う」
やっとの思いで絞り出した言葉に頷き返した海瑠が、切り取ったように細いドアの隙間から見えた。
隙間はどんどん、狭くなっていく。
静かに閉まったドアを見つめて、摩耶はどうしようもないほどの孤独と、不思議と湧き起こる暖かい気持ちに、弄ばれていた。




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