海瑠 (三度豆 3)

  三人で暮らし始めた最初の瞬の誕生日は、蝉時雨がうるさいほどの夏の盛りにやってきた。
  四回生の夏休み、瞬と菜摘は、秋の美術展や卒業制作に的を絞って、精力的に絵を描いていた。そのため、大学のアトリエに篭りっきりで、アルバイトどころではなかった。
  実質、その頃の三人は、瞬と菜摘の実家からの仕送りと、伶華がホテルのラウンジでピアノを弾くアルバイトとピアノレッスンで食い繋いでいた。その仕送りでさえ、瞬は自分の絵の為になら、後先考えずに使ってしまうのだった。
  豪勢な贈り物など、無縁だった。
  瞬が望んだ誕生日の贈り物は、「腹一杯食べたい」だった。
  菜摘と伶華は、創作とアルバイトを早々に切り上げ、商店街へと夕食の仕込みに走った。
  財布の中の無け無しの金では、肉は買えなかった。
  菜摘は魚屋で小さな鰯を二盛り、値切れるだけ値切った。
「何を作るの?」
  不安げに聞く伶華を、ひまわりのように微笑みながら、菜摘が見上げた。
「天ぷら。しその葉と、叩いた梅肉を入れて揚げれば、立派なご馳走になるもの」
  八百屋でも、少し悪くなりかけの野菜を、菜摘はてきぱきと値切っていった。流石は関西人だけあると、妙に伶華は感心してしまった。
  ケーキを買えない伶華は、豆腐屋の前で立ち止まった。
「ケーキの替わりに、お豆腐はどう?」
「ええっ?」
「空き地で花を摘んで飾るの」
  菜摘は覚えたてのピースをして見せた。
  少女のような菜摘の小さな手には、油絵の具の紫色が幽かに残っていた。その色が、夕焼けの中で照り映えていた。
  その夜、盛りだくさんの天ぷらと、大きな染め付けの大皿に野の花で飾られた豆腐のバースディケーキを前にして、三人は幸せだった。
「美味しいや、このサンドマメ」
  瞬が目を細めて言った。
「ほんと、案外柔らかくて、美味しい」
  菜摘が受けるのを、伶華は驚いた顔で見つめた。
  サンドマメ、それは伶華にとって、始めての響きだった。
「ねえ、なに、サンドマメって? 何を挟んでるの?」
  今度は、瞬と菜摘が驚いた顔を伶華に向けた。
「これよ」
  菜摘が箸で、翡翠色の細長い豆を掴み上げた。
「どじょうインゲンでしょう、それ」
「どじょう!!」
  菜摘は汚い物のように言い放った。
「でもさ、インゲンマメとも言うよな」
  瞬の言葉に、菜摘も伶華も頷いた。
「確か、隠元和尚が中国から持って来たからそう言うんだと思うけど。俺の田舎じゃ、サンドマメって言ってる。苗を植えてから、三回、豆を収穫できるから、三度豆って言うって、おばあちゃんから聞いた覚えがある」
  瞬の言葉に、菜摘が呟いた。
「三度、豆、なのね」
「サンド・マメ、インゲン・マメ、ドジョウ・インゲン」
  伶華の声に、三人は顔を見合わせた。
  菜摘の頬が堪えきれなくなって、プシュンと弾けると同時に、三人、猫の子のようにじゃれあいながら、笑い転げた。
  寝転がった伶華の目に、ささくれ立った畳が飛び込んできた。それでも、惨めさは微塵もなかった。自分たちで選んだ生き方に、満足していた。
「おはようございます。何かいい事あったんですか?」
  目を上げた伶華の前に、海瑠がにこやかに佇んでいる。
「ね、これ何て言う?」
  袋の中を覗き込み、海瑠はちょっと怪訝そうな顔をして答えた。
「サンドマメ、でしょ」
  もう一度伶華は、クスッと笑った。




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