通常兵器条約(CCW)の強化と限界



通常兵器条約(CCW)の強化へのきっかけ



さまざまな問題を内包したままの通常兵器条約(CCW)には、「発効から10年後に再検討会議の開催要求ができる」という一文が入っていました。開催要求ができる国は、この条約に批准している国のみが認められている権利でした。
ICBLが発足した段階では、まだこの条約にはアメリカは批准していませんでした。
しかし、アメリカのレーヒー上院議員が働きかけて、アメリカ国内では1992年10月に、世界で初めての「対人地雷輸出凍結法」が米国議会で成立したのです。
1988年にレーヒー上院議員は、視察した中米のホンジュラスで、惨たらしい地雷の被害者を目のあたりにして、被害者を支援する基金を設立するとともに、輸出凍結の法案制定にむけて、働きかけていたのです。
一年間の期限付きの法案でしたが、この法案はNGOにとって、とても励みになったのです。


ICBLのジョディ・ウィリアムズさんは、レーヒー上院議員と同じバーモント州出身でした。
そこで、彼女が中心になり、ICBL発足直後から、レーヒー上院議員にロビー活動を展開しました。
レーヒー上院議員はNGOの発言に耳をかし、対人地雷全面禁止に積極的に働きかけるようになっていきます。


アメリカ政府(当時ブッシュ政権)は、対人地雷禁止にはどうも乗り気ではなかったのですが、レーヒー上院議員の活躍で法案が成立し、アメリカ国民の関心を対人地雷へ向けることに成功しました。
レーヒー上院議員の活動は、その後、フランスを動かすことになります。


1993年1月、レーヒー上院議員は、フランスのNGO、「ハンディキャップ・インターナショナル」(以下HIと記載)に手紙を送ります。
その内容は、
「アメリカは、期限付きながら、対人地雷の輸出を凍結する法案を成立させました。目的は、アメリカの一方的な凍結を、拘束力のある国際合意にとってかわらせることです。
次のステップは、地雷の輸出国も輸出を止め、アメリカとともに売却、輸出、譲渡を禁止するための拘束力を持った国際合意にむけて働きかけることです。
CCWの議定書は1993年12月で丸10年になります。アメリカは批准していないため、再検討会議の開催を呼びかけることはできません。
しかし、頼もしいことに、フランス政府は再会を呼びかける可能性がある、と報告を受けています。」



レーヒー上院議員から手紙を受け取ったHIのジャン・バティストさんは、2月3日付でフランスのミッテラン大統領に書簡を送ります。
CCWの再検討会議の再開を求めるようにというその書簡には、そのことに同意するフランス市民2万2千人の署名も入っていたのです。


1993年2月11日、カンボジアを公式訪問していたミッテラン大統領は、プノンペンで対人地雷に関する重大な発表を行いました。
「われわれは、子供たちを傷つけ、殺害し、恒久的に負傷させる物質が無差別に継続使用されていることに、深い憂慮の念を抱いている。 われわれフランス政府は、国連事務総長に対し、1980年の特定通常兵器使用禁止・制限条約(CCW)を改正する国際会議を至急招集するよう求める。さらに、われわれは、対人地雷の輸出を自粛し、その他の国々も輸出凍結を宣言するよう求める。」

こうして、特定通常兵器使用禁止・制限条約(CCW)を再検討する会議が、開かれることになったのです。


通常兵器条約(CCW)の限界



1995年9月25日、ウィーンでの通常兵器条約(CCW)の再検討会議が開かれました。
この会議は、地雷だけではなく、レーザー兵器などについても再検討するための会議でした。

この会議に参加するため、イタリア、ベルギー、イギリス、アイルランド、アメリカが、ぎりぎりになって批准しています。
44ヶ国が正式参加、40ヶ国が非公式参加をしました。
残念ながら、地雷で苦しんでいる当事国である、モザンビークやカンボジアは、参加していませんでした。

ここで、付け加えておきますが、これらの会議には、NGOのメンバーがかけつけていました。
各国の大使にむけて、ロビー活動をしたり、または、マスメディアに訴えて、世論を盛り上げようと、努力していたのです。


この会議の初日、ICBLは世界53ヶ国から集められた170万人の署名を、ヨハン・モランダー議長(スウェーデン軍縮大使)に手渡しました。また、地雷での被害者が壇上に立ち、全面禁止を訴えたのです。

しかし、出席した政府から、対人地雷禁止に関しては、賛成と反対の意見が入り乱れたのです。
ノルウェー、デンマーク、メキシコ、スウェーデン、オーストリアが全面禁止を支持したのに対し、イギリス、インド、オーストラリアが全面禁止に反対しました。
イギリスは、「地雷は合法的防衛兵器」だと主張しましたし、インドは、「地雷の保持や破棄などにに関して第三者から監視されることに反対」との態度をとりました。

会議に出席した国は、「いつか、最終的には地雷を全面禁止すべきだ」という発言を繰返したものの、それをいつまでに実現するかといった実質的な発言は出てこなかったのです。


また、残念ながら、この再検討会議では、「スマート地雷」の宣伝の場になってしまいました。
アメリカやイギリスは、今までの地雷をスマート地雷に変えていけば、長年にわたって文民を脅かすことはないと主張したのです。
これには、ロシアや中国が猛反対しました。一個3ドルで作れた地雷ですが、スマート地雷は、その数十倍もコストがかかります。「経済先進国にしか購入できないような高価な地雷を正当化させることで、交渉を自分たちの有利なものにしようとしている」と、この解決方法には、賛成しなかったのです。

結局、会議最終日の10月13日には、レ―ザー兵器の禁止事項をもりこんだ第四議定書が採択されました。地雷に関しては、一切触れられていない議定書でした。
地雷に関しては、翌年、1996年の1月と4月に交渉するという休会を宣言し、会議は終わったのです。



1996年1月、ジュネーブで会議が再開されます。


前回のウィーンでの会議は3週間、ジュネーブでの会議は5日間の期日しかありませんでした。前回の経過から見ても、次回、4月に開かれる会議で課題を先送りするだろうとの憶測を、どの政府も、NGOも、もっていました。

事実、アメリカ、イギリスと、中国、ロシアの意見が対立し、会議は糸口をつかめないまま、進行していました。

ICBLのメンバーも、4月に開かれる会議に的を移して、具体的に何をすべきかを、模索していたのです。
そんななか、オランダのNGOであるパックス・クリスティから参加していたピーター・バンロッセムさんが、とんでもないアイディアを、世界各国のNGOの前で発言したのです。
「このままでは展望が開けない。NGOが、地雷全面禁止に積極的な国だけに呼びかけて、会合を開いてみてはどうだろうか」


1月19日、この非公式な会合は開かれました。
参加したのは、カナダ、ベルギー、アイルランド、オーストリアなど8ヶ国の政府代表団と、13のNGOでした。
進行役は、ピーター・バンロッセムさんでした。
この会合では、それぞれの国の、政策における具体的な問題や、地雷の処分、軍部への対応といった問題を、いっしょに考えていったのです。
そして、地雷禁止の推進方法、除去に使える技術がないかといった、実務的なことも話し合ったのです。
さらには、国際間での、二カ国、多国間交渉の可能性についても話しが発展しました。
会合の最後には、同年4月に再開されるCCW再検討会議のときにも、この会合を開こうと、約束したのです。
この会合に参加した人々は、地雷禁止が、現実になるかもしれないという光を胸に、それぞれの国に帰っていったのです。


4月に再開されたCCW再検討会議では、対人地雷を規制する第二議定書の改定に合意しました。

適用範囲が拡大され、国家間紛争だけでなく、国内紛争や内線にも適用
探知不可能な対人地雷の使用禁止(1997年1月1日以降に生産される対人地雷は、最低8グラムの鉄に相当する物質を内臓せねばならない)、自滅装置および自己不活性化機能が付いていない地雷の使用禁止
改定された第二議定書で使用が禁止されている地雷の移譲禁止。議定書に合意していない国への移譲禁止 毎年締約国会議を開催し、年次報告を義務づける


この議定書の内容は、対人地雷禁止とは遠いものになってしまいました。
なぜなら、この会議は、全会一致の方式をとっていたのです。
一つの国でも、議定書の内容に反対すると、採択されなかったのです。

ガリ国連事務総長や赤十字国際委員会から、「新たに規制を設けるにあたり、人道的必然性よりも軍事的配慮を優先させた」との非難を浴びながら、この会議は幕を閉じました。

CCWの、これが限界だったのです



もどる


Copyright (C) Masayo Fukui. All right reserved.